文繍は1922年に僅か12歳にして溥儀の淑妃、つまり第二夫人となるが、溥儀は多くの皇后候補の写真を渡された溥儀は、文繍を皇后の第一候補に選んでいたと言われる。1931年、彼女は21歳にして溥儀との離婚を裁判所に申し入れて、二度と結婚しないことを条件に自由の身となる。皇后・淑妃といえどいわば皇帝の奴隷であり、皇帝に三行半を突き付けた女性は中国史上最初で最後である。溥儀には相手にされず「御苑の鹿」のような不自由な生活を続けた婉容が孤独のあまりに阿片に溺れていくのに対して、文繍は溥儀と訣別し自由を得て教師になった。Hung Liu の文繍のタピストリーには意志が強く気高い現代女性が描かれているように思う。
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