2020年2月29日土曜日

Hung Liu 劉虹 の Last-dynasty

1948年に長春で生まれた Hung Liu 劉虹 は北京で育ち、文化大革命下の下放政策により1968年からの4年間、農村に送られて再教育された。北京に戻った彼女は、北京中央美術学院で学び、米国カリフォルニア大学サンディエゴ校に留学するため中国政府からパスポートを得るのに7年間を待った。Hung Liu は Last-dynasty の作品シリーズで清朝の皇帝一族を題材にしている。皇帝を象徴する黄色を用いて描かれている溥儀、婉容、文繍ら。



文繍は1922年に僅か12歳にして溥儀の淑妃、つまり第二夫人となるが、溥儀は多くの皇后候補の写真を渡された溥儀は、文繍を皇后の第一候補に選んでいたと言われる。1931年、彼女は21歳にして溥儀との離婚を裁判所に申し入れて、二度と結婚しないことを条件に自由の身となる。皇后・淑妃といえどいわば皇帝の奴隷であり、皇帝に三行半を突き付けた女性は中国史上最初で最後である。溥儀には相手にされず「御苑の鹿」のような不自由な生活を続けた婉容が孤独のあまりに阿片に溺れていくのに対して、文繍は溥儀と訣別し自由を得て教師になった。Hung Liu の文繍のタピストリーには意志が強く気高い現代女性が描かれているように思う。


2020年2月27日木曜日

吉岡実「死児」から

死児は見るだろう
未来の分娩図を
引き裂かれた母の稲妻
その夥しい血の闇から
次々に白髪の死児が生まれ出る


溥儀は婉容と同衾することなく仮面夫婦の関係を続けたという。ところが婉容は、1935年、満洲国皇后の時代に女児を産んでおり、女児は生まれてすぐに亡くなっている。一説には、溥儀がこれを溥儀の子ならぬ不義の子であると婉容を責め、彼女の侍従二人を疑って追放して、従者に命じて生まれたばかりの女児を攫ってボイラーに放り込み殺したという。

この痛ましい話から、吉岡実の詩「死児」の一節が頭に浮かんだ。生を得た筈の女児が、実母の知らない間に代理母ボイラーの熱い子宮に預けられ、改めて死児として分娩されたという私的なイメージ。

詩人は、クロアチアの画家 Miljenko Stančić の作品 「死児 1955」という題名から、この詩を着想したと「「死児」という絵」という題名の散文集に書いており、絵は本の表紙を飾っている。


2020年2月26日水曜日

吸烟する婉容

ラストエンプレスとも呼ばれる婉容は、辛亥革命による清朝滅亡後、廃帝溥儀と16歳にして結婚、今でいうアイドル級の美しい容姿にもかかわらず、同性愛者の溥儀には全く相手にされず、40年に満たない短い生涯の後半生を阿片を友として生きた。横たわり煙管を持ち吸烟する姿を撮影した写真が残されているが、心なしか目は虚ろで生気は感じられない。もはや生ける屍という感じだ。



満州国の首都だった長春(旧・新京)において溥儀の住んだ皇宮、緝熙楼は偽満皇宮博物院として一般に開放されており、寝椅子に横たわって阿片を吸う婉容の蝋人形が展示されている(展示されていないときもあるらしい)。ここでは上の写真の姿がほぼ再現されている。


溥儀と婉容を世界に知らしめたのは、中国共産党の協力のもとで北京紫禁城で撮影されたベルナルド・ベルトルッチ監督作「ラストエンペラー」であろう。但し史実とは異なる創作も多く、婉容は阿片に溺れるとともに川島芳子との同性愛にも耽っていたことになっている。以下のような耽美的なシーンが創られている。阿片を吸う煙管が実際に比べて細過ぎるのにも注目。



婉容/文綉傳:中國末代皇后和皇妃

2020年2月25日火曜日

大觀園

中国は阿片の害毒により「東亜病夫」に貶められた。
英国はインドのプランテーションでケシの実から「阿片膏」を作らせて、間接的にこれを中国に輸出して銀を得た。所謂、三角貿易である。ケシの実が未熟なうちに表皮をナイフで浅く切り、滲み出した乳液を凝固・乾燥させて得られた黒い塊「生阿片」を、さらに水に溶かし精製濃縮して携帯できる「阿片膏」が作られた。「阿片膏」が普及したお蔭で、中国人たちは尺八のように手の込んだ長い煙管を用いて、ランプの火により阿片を発煙させ、どこででも吸煙できるようになった。吸煙していると頭が朦朧として、水平に煙管を保つことに持て余すため、寝転がって吸煙するのが常であった。
こうして阿片は上海など沿岸から広まっていき、非合法の阿片窟「煙館」がそこここにできた。満州国治安部分室により、哈爾浜の漢人街傅家甸にあった「大觀園」の阿片窟について生々しい調査結果が残されている。それは「漢民族社會實態調査第一編 大觀園の解剖」と題され、国会図書館のデジタルコレクションで読むことができる。大觀園内部のフロアマップまで載せられていて「悪臭と俗悪と恐怖の暗い世界」に想像は膨らむ。

大觀園の南西門の入口 
富錦街
大觀園のもつ因襲は結局やる丈のことは何んだつて完全にやつてのけるであらう。
洞門の光線は罪悪を芽生え育むに適當した陰鬱さだ。 
一旦此処へ足を入れたら最後、決して這い出せるやうな泥沼ぢやない。

菅煙所
大觀里
羅綾そのまゝの真紅の花びらを、薫風の弄ぶるに悉せてゐるあの罌粟の花の果実から滲み出る毒汁。
文化の民に云ひ知れぬ魅力をもつものは此の毒藥である。
彼女等は世界が何うならうと、自らの生命を削つて悦樂に浸っている。

2020年2月22日土曜日

東亜病夫

かのウォールストリートジャーナルの記者が、コロナウイルスの感染に悩む「中国は真のアジアの病人(China Is the Real Sick Man of Asia)」と報道したことで、中国共産党政府から国外退去を命じられた。「アジアの病人」とは、清末に阿片中毒で痩せ衰えた中国人、病んだ中国国家を、海外列強が蔑んで呼んだものである。

 


「アジアの病人」を中国語で表すと「東亜病夫」になるが 、ブルース・リーの主演した香港映画「精武門 (邦名: ドラゴン怒りの鉄拳)」で、上海に進出した日本の柔道道場の門弟が中国武術の道場を馬鹿にするのに「東亜病夫」と書かれた額を贈るシーンがある。この映画は1972年の作品なので、ほぼ半世紀を経て、忘れられていた「東亜病夫」の言葉が老いた人々の記憶から蘇ったことになる。よりによって、2020年はブルース・リーの生誕80周年にあたるのであるが、今回は新型肺炎に苦しむ中国人、感染拡大を許した習近平政権、さらにサプライチェーンが寸断されて今や瀕死の中国経済を揶揄したものとなっている。




東亜病夫については、京都大学人文科学研究所 高嶋航氏の論考がたいへん参考になる。

2020年2月20日木曜日

卵と貝殻

マン・レイの撮った「卵と貝殻」という写真の存在については比較的最近知った。フランス語の男性名詞の「卵 (L'Œeuf)  」と女性名詞「貝殻 (la Coquille)」の突然の強制的な出会いは、ロートレアモン伯爵の「マルドロールの歌」の一節「解剖台の上でのミシンと蝙蝠傘の不意の出会いのように美しい」を思い出させる。それは「卵」の男性器を無理やり「貝殻」の女性器に咥えさせる、交接の瞬間を見せられているようにも感じる。そもそも「卵」は母性をも示し両性具有的な存在なのかも知れない。「卵」の殻と「貝殻」はともに白い殻で同質なのだから。

このモノクロ写真も ColouriseSG でカラー写真にしてみた。モノクロでは「卵」と「貝殻」を支える細い指は女のものであることを疑わなかったが、カラーにすると腕は毛深く、この指はもしかすると男のもの、マン・レイのものなのかも知れない。

L'Œeuf et la Coquille

2020年2月16日日曜日

Bedtime Story

マドンナの生涯において最も重要な意味を持つアルバムは、1994年リリースの「ベッドタイム・ストーリー」だったのではないかと思う。前作「エロティカ」の奇抜なエロ+ハウス路線から一転、落ち着いたソウル寄りに曲調を変えたために、新しいファンを獲得でき、彼女の永き歌手生命が保証されることになった。マドンナは表題曲の「ベッドタイム・ストーリー」 の提供をビョークに依頼し、ビョークの1stアルバム「デビュー」を全面的にプロデュースしたネリー・フーパーがこの曲にも絡んだ。この頃はブリストルを核としたトリップ・ホップがピークを迎えた時期にもあたり、ネリー・フーパーはその中心にいた人物で、目立たないが、彼がマドンナの音楽に果たした役割は大きかったと思う。

2020年2月15日土曜日

毛皮の朝食

ニューヨークにおける無名時代のマドンナ・チッコーネのモノクロ写真は、顔立ちや乳房の形がマン・レイの撮ったメレット・オッペンハイムを想起させたが、カラー写真にしてみると、マドンナの肌の毛深さが際立って目立った。そしてニューヨーク近代美術館に所蔵されているオッペンハイムのオブジェ「毛皮の朝食」が頭に浮かぶのだった。毛皮のティーカップは無駄毛に覆われたデビュー前の姿で、無駄毛を剃り落として白い肌を披露したアイコン「マドンナ」は、白い陶器のティーカップなのかもしれない。


2020年2月14日金曜日

マドンナ・チッコーネのカラー写真

1979年、メジャーデビューする前の無名のダンサー、マドンナ・ルイーズ・チッコーネを写真家マーティン・シュライバーが撮ったモノクロ写真集「アイ・マドンナ」があり、これを ColouriseSG でカラーにしてみた。彼女は当時ダンススクールの学費の足しにヌード写真のモデルを志願したが、ポップシンガー「マドンナ」としてブレイクした後に、シュライバーはプレイボーイ誌に写真を高く売り、1985年に同誌に掲載されている。

その頃のマドンナは既に髪をトレードマークの金髪に染めており、ちょうどウェディングドレスをモチーフに大胆にモディファイした衣装を着て、メークで少し幼く見せていたと思う。一方、写真に写った全裸の若い女性はノーメークで、黒髪もぞんざいに纏めており、時代のアイコンとはかけ離れた姿である。カラーにして特に驚いたのは、マドンナの肌が浅黒く、メレット・オッペンハイムとは似ても似つかぬほどに毛深いことである。


  

 


2020年2月13日木曜日

メレット・オッペンハイムのカラー写真

見慣れた古いモノクロ写真をカラー写真に変えられる ColouriseSG というのがあるのを知った。ディープラーニングの技術を用いているとのことである。試しにマン・レイの撮ったメレット・オッペンハイムの写真をカラーにしてみた。金髪に染めていない黒髪の頃のマドンナ・ルイーズ・チッコーネにも似ているシュールレアリストである。
カラー写真になったものを見て気づいたのは、モデルのメレット・オッペンハイムの肌だけが艶かしく色付いて、印刷機や背景はぼモノクロだったことである。下の写真はフラッシュのせいで肌の色が白く浮かび上がり、まるで合田佐和子が描いた絵のようになっている。

 


2020年2月12日水曜日

月暖如梵音

中国の壇蜜のような感じ。32歳。天津出身。瀋陽師範大学卒らしい。

2020年2月11日火曜日

剣鬼喇嘛仏

「喇嘛」という言葉が自分にとってどこか艶めかしく感じられるのは、「喇嘛」が「魔羅」の裏返しであるせいもあるが、十代に熱中して読んだ山田風太郎の小説にこの漢字が出てきたせいだろうと思う。山田風太郎の方は、佐伯俊男の表紙の絵がいやがおうでも目を引く角川文庫版の忍法帖シリーズである。

詳しい内容はもう忘れてしまったが、恐らく喇嘛僧が登場するような話があったのか、「喇嘛」という漢字を含んだ妖しい名前の忍法があったに違いない。調べてみたところ「剣鬼喇嘛仏」という短篇小説があり、その中に「忍法喇嘛仏」なる、かなり恥しい忍法が見つかった。話は、細川忠興の次男で剣鬼と呼ばれる長岡与五郎が、細川家に仕える忍者青龍寺組組頭の孫娘登世と歓喜仏の如く交わりながら二人の二刀流、四本の剣で追手と闘い、宮本武蔵との対決を果たそうとする無茶苦茶なもので、「忍法喇嘛仏」とは、登世が孕んで子を出産しない限り合体が解けないという忍法である。ビデオ化されて人気を博した「くの一忍法帖」に出てくる「忍法天女貝」が類似の忍法で、男が死んでも合体が解けない必殺技であるのに対してマイルドな技で、これが忍法と呼べるのか甚だ疑問である。

なお「忍法忠臣蔵」には「忍法歓喜天」という忍法が出てくるが、こちらは女が交合した相手の男になり変わることができる一種の化身の術である。同様の忍法は忍法帖シリーズ最後の作品である「開化の忍者」に名を替えて「忍法陰陽変」として再登場する。


佐伯俊男の角川文庫のカバー全種が載せられている「路地裏 誠志堂」のウェブサイト:
https://www.facebook.com/pg/路地裏-誠志堂-431341310334005/posts/?ref=page_internal

2020年2月10日月曜日

ブラックフェイス

続編「独臂拳王大破血滴子」(邦題「片腕カンフー対空飛ぶギロチン」)に登場するヨガの使い手は「ブラックフェイス」、つまりは中国人が顔にドーランを塗ってインド人に扮しているのだった。インド人にはどちらかというと顔が小さい人が多いが、この黒塗り中国人はかなり顔が大きく、どう見てもインド人には見えない。最近では、差別的表現で文化的配慮に欠けるなどと批判の対象となっているが、かつての日本でも同様のことが行われていたのを、中山仁が亡くなった際に思い出した。彼がバレーボールのコーチ役をしていた「サインはV」で、故・范文雀が顔に不自然な黒塗りをして混血孤児ジュン・サンダースを演じていたことを。孤児院で育てられたジュンは、劇中で骨肉腫で最終回を待たずに死んでしまう。そんな悲劇的な運命を背負ったせいで范文雀は全国的な人気を得たが、皮肉なことに本人も悪性リンパ腫で亡くなってしまった。なお「サインはV」は、準ヒロイン役の范文雀が台湾籍だっただけでなく、ヒロイン役の岡田可愛が韓国籍で国際色豊かなドラマであったことは最近になって知った。





村上由見子「イエロー・フェイス―ハリウッド映画にみるアジア人の肖像」 (朝日選書) については、改めて書きたい

2020年2月9日日曜日

如来神掌

王羽(ジミー・ウォング)が主演した「獨臂拳王」(邦題「片腕ドラゴン」)と「血滴子」の登場する続編「独臂拳王大破血滴子」(邦題「片腕カンフー対空飛ぶギロチン」)では、劇中で、後年ここからドラゴンボール「天下一武道会」の着想が得られたとも想像できる武術大会が開催されている。清朝雍正帝の結成した暗殺集団と考えられる西蔵からの喇嘛僧を始め、日本からの柔道家、琉球からの空手家、タイからのムエタイボクサー、朝鮮からの跆拳道の使い手などが続々と登場する。(あれ?跆拳道って確か松涛館空手をモディファイして朝鮮戦争時代に創られた新興武術だから、清代には存在しなかった筈であるが...) 中でも驚いたのは、両方に登場するインドのヨガの使い手で、初作では逆立ち姿勢から技を繰り出し、続編ではなんとストリートファイターのダルシムのように手が長く伸びるのであった。自分には、これがカンフー映画創成期の怪作「如來神掌」へのオマージュのように思えた。





2020年2月8日土曜日

神話少女


11歳の栗山千明を篠山紀信が撮影した「神話少女」(新潮社)という写真集があり、最近、児童ポルノ法で摘発された神田神保町の湘南堂書店の店頭で10万円の高値をつけて並べられていたという。そんなことも災いして「神話少女」はもはや古書店チャネルでは流通していないようで、自分も一部の写真を除いて見たことはなく、今後も見ることはないだろうと考えていたが、中国の「胶片的味道」というサイトに写真集の写真すべてが載せられているのを見つけた。http://letsfilm.org/archives/51001


流石に篠山紀信の作品だけあって児童ポルノとは程遠く、移ろう季節の中で思春期の栗山千明の奇跡的に美しい一瞬一瞬が切り取られている。しかし油断はできない。少女の持つエロスは甘美であるが、どこか後ろめたさを伴って危ういものである。巨匠バルテュスが描いた作品ですら児童ポルノの扱いを受けている昨今だから、いつ「神話少女」や、宮沢りえの「Santa Fe」が槍玉にあがり世のタブーとなるかもしれない。


なお「神話少女」と比較にならないが、6歳の小川範子を含んだ何人かの幼女ヌードが撮られた近藤昌良撮影の写真集「Little Angels 少女の詩」(世文社)というのがあり、自分は学生時代に所属クラブの女子部員が所有していたものを見せてもらったことがある。明らかに毛のない陰裂を見せているのが売りのようで、こちらは児童ポルノの指定を受けてもしかたがないと思える。



2020年2月7日金曜日

ゴーゴー夕張

必殺の秘密兵器空飛ぶギロチン「血滴子」はダウンサイジングして、クエンティン・タランティーノ監督作「キルビル」で、若き?栗山千明演じる女子高生ボディガード「ゴーゴー夕張」の武器「ゴーゴーボール」として甦る。当時の栗山千明は、奥二重の大きくきつい目と大きな鼻、厚めの唇という独特な風貌で底知れない残酷さを秘めたキャラクターを上手く演じていたと思うが、2012年くらいに全く違った雰囲気に変わってしまったことが悔やまれてならない。