「喇嘛」という言葉が自分にとってどこか艶めかしく感じられるのは、「喇嘛」が「魔羅」の裏返しであるせいもあるが、十代に熱中して読んだ山田風太郎の小説にこの漢字が出てきたせいだろうと思う。山田風太郎の方は、佐伯俊男の表紙の絵がいやがおうでも目を引く角川文庫版の忍法帖シリーズである。
詳しい内容はもう忘れてしまったが、恐らく喇嘛僧が登場するような話があったのか、「喇嘛」という漢字を含んだ妖しい名前の忍法があったに違いない。調べてみたところ「剣鬼喇嘛仏」という短篇小説があり、その中に「忍法喇嘛仏」なる、かなり恥しい忍法が見つかった。話は、細川忠興の次男で剣鬼と呼ばれる長岡与五郎が、細川家に仕える忍者青龍寺組組頭の孫娘登世と歓喜仏の如く交わりながら二人の二刀流、四本の剣で追手と闘い、宮本武蔵との対決を果たそうとする無茶苦茶なもので、「忍法喇嘛仏」とは、登世が孕んで子を出産しない限り合体が解けないという忍法である。ビデオ化されて人気を博した「くの一忍法帖」に出てくる「忍法天女貝」が類似の忍法で、男が死んでも合体が解けない必殺技であるのに対してマイルドな技で、これが忍法と呼べるのか甚だ疑問である。
なお「忍法忠臣蔵」には「忍法
歓喜天」という忍法が出てくるが、こちらは女が交合した相手の男になり変わることができる一種の化身の術である。同様の忍法は忍法帖シリーズ最後の作品である「開化の忍者」に名を替えて「忍法陰陽変」として再登場する。
佐伯俊男の角川文庫のカバー全種が載せられている「路地裏 誠志堂」のウェブサイト:
https://www.facebook.com/pg/路地裏-誠志堂-431341310334005/posts/?ref=page_internal
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