雍正帝自らが少林寺に入門して修行を行い十八銅人を倒す「
雍正大破十八銅人」(邦題「少林寺への道2」) が先駆けとなったようであるが、これはドラマの「水戸黄門」同様に全くのフィクションである。第一、雍正帝が帝位に就くのは45歳と遅く、中国史上最も真面目で寝る暇を惜しんで政務に精出した雍正帝が三年もの間少林寺に入門したとは考えられない。話は「
火燒少林寺」(邦題「少林寺炎上」)に続いて、少林寺に破門された雍正帝が、これを恨んで焼き討ちしようとするが、これもおかしな話である。雍正帝は少林寺の山門を新しく寄贈した事実があるが、焼き討ちをしたような記録はない。焼き討ちをしたのは清朝滅亡後に軍閥の石友三である。清朝は少林寺を警戒して武道を修練することを禁じていたため、これを弾圧と捉えて、それなら焼き討ちくらいするだろうと拡大解釈されたのかもしれない。
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