2020年2月27日木曜日

吉岡実「死児」から

死児は見るだろう
未来の分娩図を
引き裂かれた母の稲妻
その夥しい血の闇から
次々に白髪の死児が生まれ出る


溥儀は婉容と同衾することなく仮面夫婦の関係を続けたという。ところが婉容は、1935年、満洲国皇后の時代に女児を産んでおり、女児は生まれてすぐに亡くなっている。一説には、溥儀がこれを溥儀の子ならぬ不義の子であると婉容を責め、彼女の侍従二人を疑って追放して、従者に命じて生まれたばかりの女児を攫ってボイラーに放り込み殺したという。

この痛ましい話から、吉岡実の詩「死児」の一節が頭に浮かんだ。生を得た筈の女児が、実母の知らない間に代理母ボイラーの熱い子宮に預けられ、改めて死児として分娩されたという私的なイメージ。

詩人は、クロアチアの画家 Miljenko Stančić の作品 「死児 1955」という題名から、この詩を着想したと「「死児」という絵」という題名の散文集に書いており、絵は本の表紙を飾っている。


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