英国はインドのプランテーションでケシの実から「阿片膏」を作らせて、間接的にこれを中国に輸出して銀を得た。所謂、三角貿易である。ケシの実が未熟なうちに表皮をナイフで浅く切り、滲み出した乳液を凝固・乾燥させて得られた黒い塊「生阿片」を、さらに水に溶かし精製濃縮して携帯できる「阿片膏」が作られた。「阿片膏」が普及したお蔭で、中国人たちは尺八のように手の込んだ長い煙管を用いて、ランプの火により阿片を発煙させ、どこででも吸煙できるようになった。吸煙していると頭が朦朧として、水平に煙管を保つことに持て余すため、寝転がって吸煙するのが常であった。
こうして阿片は上海など沿岸から広まっていき、非合法の阿片窟「煙館」がそこここにできた。満州国治安部分室により、哈爾浜の漢人街傅家甸にあった「大觀園」の阿片窟について生々しい調査結果が残されている。それは「漢民族社會實態調査第一編 大觀園の解剖」と題され、国会図書館のデジタルコレクションで読むことができる。大觀園内部のフロアマップまで載せられていて「悪臭と俗悪と恐怖の暗い世界」に想像は膨らむ。
大觀園の南西門の入口
富錦街
大觀園のもつ因襲は結局やる丈のことは何んだつて完全にやつてのけるであらう。
洞門の光線は罪悪を芽生え育むに適當した陰鬱さだ。
一旦此処へ足を入れたら最後、決して這い出せるやうな泥沼ぢやない。
菅煙所
大觀里
羅綾そのまゝの真紅の花びらを、薫風の弄ぶるに悉せてゐるあの罌粟の花の果実から滲み出る毒汁。
文化の民に云ひ知れぬ魅力をもつものは此の毒藥である。
彼女等は世界が何うならうと、自らの生命を削つて悦樂に浸っている。
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